もうひとりのやまもとけいこさんを訪ねる旅のお話

Bの友達リクエストにはずいぶんと不思議なこともあるもの。
それはもしかしたら、単に人探しのためだけであったのかもしれないけれど、3月に外国の方からリクエストいただきました。


メッセンジャーでメッセージが来て、同じ市内在住で同じ名前(漢字は違ってもローマ字表記は外国の方にとってはいっしょなので)の人だから探している人が私ではないかということでした。何回かのメッセージのやり取りをしているうちに学費で助けていただいたという事情がわかり、その寄付された方は年齢も生きていらしたらたぶん今では90歳越えだということもわかりました。


まあ、私ではないことは私自身がいちばんよくわかっていること……そしてその方にも。でも学校へ行くための援助でお世話になった「やまもとけいこ」さんをその人はとても探していた……。そしてメッセンジャーで戻ってきてしまったという手紙の写真を送ってきました。確かに市内、私と同じ名前の人宛でした。そしてそれは私が聞いたこともない町名でした。消印も90年代の終わり頃です。グーグルマップで調べてみると、自転車に乗って行けない距離でもないことがわかりましたが、果たしてまだその家がそこにあるかどうかもわかりません。そして90歳を超えているその方が存命かどうかもわかりません。年齢が年齢だけに私にも確信はありませんでした。でも少し時間ができたら行って探してみるからと約束してしばらく。。。ようやく時間ができて行ってみました。


近所まで行きましたがわからず通りがかりの方に名前を聞いてみてようやくたどり着きました。玄関のインターフォンを鳴らして事の説明をするのにはちょっと勇気が必要でした。そして出てこられた。生きていらっしゃいました。よかったーーー!
玄関で立ち話もなんだからとけいこさんは椅子を勧めてくださり、温かいお茶と「みなさんが持ってきてくださるのよ。」とお茶菓子まで出してくださいました。

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そこで私は事の顛末をお話ししたわけです。「私は英語が喋れないし、外国へも行ったことがないからたぶん人まちがいだと思う。」から話は始まったけれど、だんだん蘇ってきた記憶。最後はユニセフを通じて寄付をしていたということに行き当たりました。助けていた子どもさんにはけいこさんのことが知らされていたのですが、手紙を彼女の名前で書いていたのはご主人だったのです。そのご主人はもう10年ほど前に90歳を超えて亡くなったということでした。なぜ住所もあっている手紙が外国の投函先に戻ってしまったのかはまるで謎でしたが、ようやく話がつながりました。

 
草花の手入れもこぎれいにされた、こじんまりとした玄関先での昼下がり。春の温かな光に包まれながら飲んだお茶のおいしさは格別でした。お茶を飲み、お菓子を食べながらこの話だけではなく日本の平和や引き揚げてくるときにご苦労された話、特攻兵の話などなど、いろいろな話をたくさんしました。けいこさんは、すこしきな臭くなってきた日本を憂いていらっしゃいました。日も傾き寒くなってきたのでおいとまの挨拶をする私にお菓子まで持たせてくれました。こういうのって昔ながらのおつきあいみたいだなあとじんわりしました。


もうひとりのやまもとけいこさん。
90歳をこえての一人暮らしですが、かわるがわる訪ねてこられるご近所さんたちに守られながら静かに暮らしている様子でした。ご近所さんには英語のわかる人もいるから英文の手紙が来ても大丈夫と聞きました。帰ってから私にメッセンジャーで連絡してきた方に写真を送り、やまもとけいこさんの近況を伝えました。その人は90歳を超えて生きていらしたことに驚きながら、とても神に感謝していました。そして私にはThank you!と笑顔のスタンプマーク連発の返信でした。最後はできるだけ早く手紙を書いてみますと結ばれていました。あれからしばらく経ちますが連絡はついたのでしょうか。

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もうひとりのやまもとけいこさんを訪ねる旅のお話